米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

学問と教育の違い『永遠の法理』(自動書記)& 木之花開邪媛命のお伝え・・先祖・身内霊の供養

「知恵は彼方」~今は何もしなくてもお金さえ払えば喰える時代~収穫が体験ではなく肥料やり・土造りからの体験が肝心ですが・・・


学問と教育の違い [永遠の法理(自動書記)]


(前より)学問と教育とは同じようなものと思われるでしょうが、これは異なるのです。


日本で云いますと、明治大正に育ってきた人は学問によって知識を身につけ、自分の努力によって体験されたことの中から智恵を得て生活をされてきたのです。


そこでこの知識と智恵を後世に伝えようとして教育することを考え、実行されたのです。


しかし、今になって教育によって知識を身につけることが出来ても、智恵を授けることが出来ないことが解ってきたのです。
そして、学問と教育にも違いのあることが解ってきたのです。


学問とは、先生や先輩や書物などによって問いたずねて学ぶことで、知識を身につけようと、さまざまな方法によって自分自身の心で求めるものなのです。


教育とは本人が求めていないのに、他からご馳走を沢山食べなさいと言われているのと同じことなのです。
本人に食欲がでてこないばかりでなく、吐き気さえもようしているのに、食べなさいと言われていると同じことなのです。


親の皆さんも、料理の品数を変えて食べさせようとするのではなく、いかにして食欲を出すかと言うことを考えるべきなのです。
親の皆さんが、なぜそのような考え方が出来ないかと申しますと、親たちも教えられた知識しか持ち合わせていないからこのような現象を招いているのです。


世の中、確かに知識は大切ですが、知識だけでは生活は向上しません。向上するためには何が必要なのかと申しますと、知識より智恵が必要なのです。


それではどうすれば智恵を得ることが出来るのでしょうか。学問や教育によってではなく、自分自身の行為の中から体験によって得るもの、それが智恵なのです。


知識は意識によって得るものであり、智恵は体験を通して自覚することによって得るのです。この原理を親御さんたちが良く理解されて、子供さんたちの教育に考えをめぐらして戴くならば、子供さんたちは生き返ったように活力が出てきて、楽しい日々を送られると思います。


親の愛情の掛け方のちょっとした間違いのために、子供は苦しめられ、迷わされたりしているのです。


どうぞ誠の愛情とは何かを、もう一度問い直してみて下さい。利口な方々はこの原理を悟り、一日も早く、子供たちから観て偉大な尊敬される親となられますよう期待致します。(続く)



【木之花開邪媛命のお伝え】・・先祖・身内霊の供養 [自動口語]


(前より)私が次に心配していますことは、戦国時代から江戸時代にかけて亡くなった方々の未成仏霊が、それぞれの子孫に頼ったり、関係の無い方に地縛霊として頼ったりして、いろんな形で人間の身体に災いを起こしてきていることです。


その次に明治から昭和にかけての戦争で亡くなられた方々の未成仏霊が、大きな波となって動き始めるのではないかと懸念しているので御座います。


これの解決には、もう少し国民が総力をあげて、この方々の安らかな成仏を祈願するだけの「もの」が無ければいけません。


また身内は身内として、この時期に亡くなった方々が仏の世界で安らかな眠りにつける事を誠心誠意心に念じ、朝晩お参りすることが必要かと思われます。


繰り返しますが、国も年に一度くらいは国の為と言われて、亡くなった多くの犠牲者を、その子孫として大祈願祭くらいの行事をすることを考えるべきではないかと思います。


魂の世界が、安らかになることによって、我々も安穏な生活が送られるようになるので御座います。


仮にこの世で楽しく過ごせても、あの世に往ったとき苦しみの坩堝に落ちている親兄弟がいたのでは、あなた方も心からの満足は有り得ないので御座います。


まず先祖を供養して成仏願って、さらに身内の方々も安らかに永眠されることによって、本当の意味での心の安らぎを持つ事が出来るので御座います。


しかしながら国の行事を期待しても各宗教的な考えの争いがもとになって、なかなかまとまって出来かねると思います。最低でもあなた方がせめて身内の方々の供養をきっちりするようにして下さい。


供養は難しいことではありません。日に一度でもよろしいですから、仏壇にお灯明と線香を上げて「心安らかにおやすみ下さい」と念じればよろしいので御座います。


難しいお経などをあげてもあの世の人は理解できない方も多いので、まず誠心誠意、念じて頂く事が大切です。
そのときあなた方の知っている限りの方々の名前を唱えて下さい。名前のわからないときには、「ご先祖様ご一同様、ならびに先祖にまつわる方々ご一同様、どうか安らかにおやすみ下さい」と念じていただければそれで結構なので御座います。


そのことを皆様方が実行されるならば、必ずあなた方の心の中に、安らぎがどんどん出てきて、日々の生活に生きがいと張り合いが出てくるので御座います。


夜、眠れないとか心が穏やかでなく何かおかしいという方は、先祖身内の方々が「何とか成仏させてくれ、往生させてくれ」という依頼の念が、そのような現象の原因になっていることも多いのです。そのことを良く悟られて真剣にご供養して頂く事が大事だと思います。(続く)