米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

人間は”平等”か『永遠の法理』(自動書記)&『大国主之命のお伝え』・「無」を理解し豊かな人生を送る

今年の夏は酷暑との予報~昨日の予報は4月から5月にかけてもここ十年間で最高の暑さで対策を・・とのことでした。
庭の蓮華ツツジは何も話しませんが5分咲きくらいかな?


【人間は”平等”か】永遠の法理(自動書記)


(前より)宇宙は無限であり、自由であり、常に可能性の夢を持つ事の出来る雄大な世界です。その無限の世界に人間として生命を戴き更に自由意志力という可能性を持った夢を頂き、授かったこの人生をいかに生きようかと考えた時に、自分の自由意志力に対する責任と使命感を意識することでしょう。


あなたの一生を素晴らしい人生とするのもつまらない人生にするのも、全てあなたの持つ自由意志力が選ぶことなのです。


この3万6千回の地球の回転のリズムの中で、あなたの魂が満足出来る生き方をする事こそ、永遠の法理に叶った生き方なのです。


人間こそ、創造主が理想社会を創るために創造された傑作の代表でしたが、魂とは別に自由意志を持った心を授けられたために、いつの間にか魂の存在すら忘れ、自由意志が主体性を持つようになったのです。


本来、魂が持つ良心すら忘れ、自我と欲望が人間の支配者のように振る舞い始めることによって、現在の物欲社会を構成し、多くの物とお金を持つ者が社会の支配者であるかの如く振舞うのが今日の経済社会なのです。


このように魂(良心)の存在を忘れ自我と誤った自由意志力を持って構成された現在の社会は、果たして理想社会と言えるでしょうか。


資本家は、利益の為には社会に不必要な兵器を作り、思想の異なる争い事に多額の利益を得ようと軍事兵器を売っています。


政治家は多額の国家予算を自分に見返りのある部門のみ使用したりしています。


思想家はいつしか原理・法則を無視して、自分の立場を利用し利益の増収を考えたりしています。


悪の世界、空(くう)の世界、心の世界を説く宗教家すら、見えない世界を悪用して庶民の心の迷いに付け込んで暴利を貪り、迷える人達の運命すら更に深いこの世のこの世の苦の世界に引きずり込んでいるのが現状ではないでしょうか。


それでは庶民は何を頼って生きたら良いのでしょうか。答えは自分自身の持つ魂しかないのです。あなた自身を現世に生かし、あなた自身の魂の浄化に協力していただくことの出来るのは、他に求めるのではなく自分に求めるものなのです。



理想社会構成の最高の思想と考えられた共産主義、すなわち人間は平等であるという考えの下に共存社会を創ろうとした思想はついに滅びました。なぜ滅びたかと申しますと、人間本来の持つ自由意志を思想によって失わしめて平等こそ理想社会の本義であると考えたところに大きな誤りがあったのです。


人間は平等ではありません。先にお伝えしたように、宇宙はすべて法則によって運行されているのです。その原理は変わる事のないものです。この法則の一つに因果律の法則という法則があって、世の中すべて原因があって結果が生じるのです。突然結果が現れるのではありません。結果が生まれる為には必ず原因があるのです。



因果律の法則とは、現世来世に続き、さらに輪廻転生のために創られた大原則であります。太陽が西より出ないのと同じように、原則が変わる事があれば地球は壊滅してしまうのです。一人一人が個々の生き方、個々の因縁によって現世に共存されているのです。


世の中で色々な方法によって自助努力をし、あるいは研修などで能力開発をしても誰もが大成功するとは限りません。
能力開発やイメージコントロールによって「あなたは大成功出来る」などと誇大宣伝して本を売ったり、会を作って多額の会費を集めたりしている人たちもおりますが、そのような事がことごとく現実社会で実現できるならば、この人たちは他の道で大成功しているのです。


このようなことに多額のお金を使用しても決して大成功などは有り得ないのです。
自分が成功を心より望むのでなければ、成功の種を蒔かずして成功の木が育ち成功の実を得る事は出来ないのです。(続く)


【大国主之命のお伝え】・・「無」を理解し豊かな人生を送る [自動口語]


(前より)俗に私は福の神という名前を授かっているのです。


この話を聞いた方々が、富める人生、豊かな人生、豊かな暮らしを送って頂きたいというのが私の願いなのです。
その豊かな人生、豊かな生き方をして頂くためには、必ずあなた方の心が、常に世のため人のために働ける、素晴らしい心になって頂かなければいけません。


御中主之命が申されているように、霊魂があなたなのです。その霊魂が心にきちっとアドバイス・指導をしていかないときには、心はややもすると身体と結託して、自分に都合のいい事を考え始めるのです。それではあなた方は何時になっても地獄の道に近づいて行くだけです。


あなた方自身は、常に心と身体を自由に使いこなしながら、この世で如何に徳を積んで他界されるかということが一番重大事なのです。心の中の一部にひそめる潜在意識にどんどんと良い種を蒔いていく事です。


良い種と言うのは難しい事ではありません。人様を喜ばすこと、人様のお役に立つこと、人様に満足して頂くよう心がけることなどを心することなのです。
いかにして人様に喜んでもらう、人様に楽しんで頂く、そういう心配り心使いをしていくならば、精神的な病やストレスなどは全部消え去ってまいります。


このストレスが高じますと、精神的な病にまで発展してくるのです。
そのストレスを一番上手に除去する方法というのは、あなた方の心に如何に人を楽しまそうかということを命じることが大事なのです。


心と身勝手を許さず、自分の身体と心を犠牲にしても、付き合う方々や周りの方々、その他あらゆる方々に喜んで頂けるかということを、真剣に心に考えさせるならばあなた方のストレスは黙っておいても解消されて行くのです。
そこのものの考え方や発想があなた方に大切なのです。


他の神様も言われている通り、あなたがたの本体はエネルギー・霊魂なのです。このエネルギーが一つの物体に入り、その物体が滅びたときにはまたエネルギーに戻るのです。これが輪廻転生と言われていることです。


般若心経の中にもあるように、色即是空・空即是色のことです。
すべてが無いという教えというのは、あなたがたの霊魂は一種のエネルギーですから、このエネルギーというのは一部を除き、決して人間の目には見えません。あなたがたの霊魂の姿を見たという人は殆ど希だと思います。この霊魂・エネルギーこそ本当のあなたなのです。従って無なのです。
無という事は、預かった肉体がやがて滅びた時にはすべてが失くなるのです。


万物皆そうです。あらゆるもの、動物も植物も、そのものが消滅したときに、そのものにかかるエネルギーは全部離れてしまうのです。還ってしまうのです。ですからこの世に在る物体は、全て仮のもの仮の品物なのです。
その仮の品物の争奪に人間が目の色を変えて夢中になるということは情けないことなのです。
その本物のあなたをあなたが知らない。悟ることができずに自我ばかり強く持つから、本来の考え方が狂ってきているのです。


もう一度申します。あなたがたは常にゼロなのです。無なのです。空なのです。目に見えないのが本当のあなただということを他の神々もお伝えしていましたが、この事実は間違いありません。


山の木も野の草も必ず限りがあるのです。木に宿る木の魂、草に宿る草の魂、魂は永遠に続きます。けれども物体、人間の肉体、木で言えば木そのもの、草で言えば草、野菜で言えば野菜、あらゆるものは四季の移ろいと同じに輪廻転生を繰り返していくのです。
木はやがて大きく育てば自分の体の木に花を咲かせ実をつけて、その木の実の落ちることにおいてまた再生が図られます。その木は何千年も生きるということは殆どありえないのです。その繰り返しです。


人間もまったく同じ、果物も、草も木もすべて同じです。柿の種を蒔けばやがては柿の実がなり、その実の種がまた柿の木を育て上げていくのです。これが自然の法則なのです。


しかし、そこに携わるエネルギーや想いそのものは、あなたがたの目に形となって見えることはありません。
ですから生き物のエネルギーを、例えば野菜でも果物でも四季折おりのものを食べるようにするのが一番健康によろしいのです。それは他の神からのお伝えもありましたように、太陽の気を十分に吸い込み、宇宙のエネルギーを十分に吸い込んだ果物なり野菜なりの生き物、その生き物自体があなたがたの体の中に入って、あなたがたの体にエネルギーを充足することができるのです。

〈写真・凶暴な肉を食う鬼が仏教に帰依して善神となった羅刹天で、右向きの白獅子に乗り右向きの鳥姿で現れたものである、という。こじ付けかも知れないし、降臨したのかもしれない。そのように見えるから~〉