米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

全日本卓球選手権~出場したのですが?

気候はやはり暖冬のようで梅の花が例年より1~3週間早く咲いているようですね。花粉も1月初めからクシュン・クシュン。自慢にはなりませんが鼻炎と言われていた50年前からお医者さん通い。


TVをつけたら卓球で早田嬢が女子シングル戦の準決勝戦の最中です。今年のオリンピック女子代表のお二人は過去では球拾いをやっていましたが、今回は今までの努力が実りました。


今朝、太陽が顔を出し始めたころからの日課の土手散歩。歩く足幅が少し大きくなり体の横揺れも少し治まってきた感じ。少し少し嬉しいです。~一日一歩三日で三歩~


卓球に戻りますが、私も高校生時代インターハイ(青森)や全日本選手権(横須賀)に新潟県代表で参加しました。あくまでも参加であって勝ち進むというレベルではありませんでした。それでも大学2校(早稲田・専修)から当時あったと聞いたスポーツ枠?でお誘いが・・。前にも書きましたが父親が早死にしていた家計では無理と分かっていましたのでお断り。


私が何故卓球だったか?好きだったことと環境だったと思います。


小学生の頃人口1万以下?の新潟・亀田町から軟式卓球で日本一の選手が誕生し、それ以来町長はじめ卓球熱が町全体を包みました。従姉が女子校でやはり卓球をやっていました。(社会人になってから「ミス新潟」?になったような)


小学5年から体育館の床にチョークで線を引いてやっていましたし、中学では卓球部があって入部。まだ身長が低かったのでネットまで手とラケットを伸ばしても届かなかった記憶があります。


高校で1年生から2年生にかけて身長が10センチ伸びました。と共に腕もそれなりに。1番の武器は今は当たり前ですが特殊?サーブを自分なりに工夫して身に着けたことでした。


社会人になって個人戦で東大阪大会で優勝やオール松下で彼方此方で試合をしましたが、東京転勤で完全に引退でした。


早田選手快勝。いまは張本(妹)選手が準決勝でストレート勝ちで終わったところです。
決勝は早田対張本の対戦になります。男子の準決勝が始まっています。


写真はインターハイ出場が決まったときに・向かって中段左から3人目が私