米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

現代に生きるということ『永遠の法理』(自動書記)&菊理姫之命のお伝え・正神界の神と魔界の神

【菊理姫之命のお伝え】は今回で終了です。今までの記事を声を出して普通に読んで頂きますと丁度1時間になります。別に試して下さいとは申しませんが次回からは【木之花開耶媛命のお伝え】を書かせて頂きます。ご参考までにこの内容も声を出して読まれますと1時間になります。


写真はマレーシア時代、自宅前のホテル付帯ジムのサウナによく行きました。ここの出口から住まいの門まで裏道徒歩3分でしたが夜はその間にも強盗に遭うことがあるそうで要注意でした。


【永遠の法理 】・・現代に生きるということ(自動書記)


(前より)この社会情勢の中で自分を律して生きて行くのは、大変努力の要ることなのです。お坊さんが山中に籠もって修行するよりも難しいのです。


こんな時代に生きること自体が、実は大変な修行なのです。白衣を着て山中を駆け巡っている方もいまだにおりますが、体力を鍛錬する方法としては良いのですが、心の修行にはなりません。なぜなら、俗社会では常に形に囚われ易く、本当のことが見失われがちです。身なりは立派にしていても心は常に欲望の亡者であったり、立派な肩書きの方でも、一皮向けば金餓鬼、名誉餓鬼、色餓鬼であったりしています。


神から見ますと実に情けない現状です。真に悲しむべき事実です。人は生まれるときにそれぞれの「分」と申しましょうか能力を授かってくるのです。最近このことが大きく考え違いをされていると思われます。


世界の流れとして、大昔の殿様の子は子孫末代まで殿様であり、農家の子は末代まで農業という時代ではなくなっているのです。


しかしながら現在、中小企業においては社長の子は社長にとの形をとられている会社が多いのです。気持としては理解できますが、その器でないものがその立場になると先代や先輩の苦労を忘れ我が能力を履き違えるのです。奢りのために会社を苦境に立たしてしまい、従業員や取引先に迷惑をかけるのは自明の理です。


会社であれば初代から代々譲られても止むを得ない面もありますが、一国の政治にまでその風潮が出てきて真に困ったものです。親は政治家でも子供は別の人格なのです。一国の政治は必ずしも代々譲られるものではありません。


生まれた時より、それぞれ個々の人格なのです。親の威光で子は大臣などとは馬鹿げた話です。なぜこんなことになったのでしょうか?


それは政治家になると良い格好をして儲けられるからです。政治家が儲かる職業では国民はたまったものではありません。昔の政治家は一代で財産を失ったものです。
今の政治家が何代も続けようとされるのは、その立場を利用して、それなりにより以上の収入を得られるからなのです。


政治家の得る収入はすべて国民の血税です。世界の中でも先進国と言われるわが国において、このような現象が起きるのは悲しむべきことなのです。


現在の政治家は一国の将来よりも地域誘導型の方が多いので、狂った現象となったのです。これからの政治は一国の将来を考える為政者となられんことを望む次第です。(続く)


【菊理姫之命のお伝え】・《正神界の神と魔界の神》 [自動口語]


(前より)新興宗教の教祖、古いお寺のお坊さん、神社の神主さん達は世の中の苦しむ人や迷える人達を、教え導く立ち場として現在の職業に就かれているのであれば、もう一歩進んだものの考え方をされるべきだと思うので御座います。


例えば法事などの説教の中にでも、この因果応報や輪廻転生の仕組みなどをもう少し檀家の皆様や信者の方々に理解できるように説明がなされなければいけないのです。


また、これら宗教家の中に自分自身が人の目から見て理解できない行為をされている方々が非常に多くなって来ているので御座いますが、これは大きな社会問題となって来るでしょう。


大きな組織力を持って政治家を圧迫し、国を圧迫して自分達の自我を通そうとしていることも大きな間違いなのです。
政治家に信者の数の協力をほのめかしながら、自分の考えや宗派の都合のいいことを押し通すというのは、これは一つの暴力であるということが出来るので御座います。
このようなことが何時までも続くようでは、政治も全く危ぶまれる情勢となって来ているので御座います。


信者の方々も一つの宗教組織に入って、その道で修行され真理を探究されることは誠によろしいことでございますが、一つの教理教則、自我のために作り上げられたものに迷われそそのかされ、そのものの手足となって働くくらい馬鹿げたことはないので御座います。


世の中に真理の道は二つとはないので御座います。しかし、見る角度、ものの見方、心の持ち方によって正しいと言うことは無数にあるので御座います。


これはどの角度から見て正しいというのか、どういう心の持ち方でそのものを見たとき正しいというのか、そのへんのことを信者の方々はじっくり追及確認して、また、その教祖様なり先に立つ方々の普段の行いや心がけなど充分観察してから、自分の信じる対象にすべきかどうかを判断する必要があるのです。


あなた方が本当に信じるのは正神界の神や仏でなければいけないのです。魔の手先であり、金儲けにはしる教祖や組織は、世を創りあげるためのものではなく、あなた方を幸せに導くためのものでもありません。この辺をあなた方は常識をもって見破るべきではないでしょうか。


どの宗教が良いとか悪いとかは正神界でも申しませんが、それはあくまでも皆様の常識において判断出来なければならないと思います。


正しいものが何故何千億のお金を集めて御殿などを建てるでしょうか。その御殿が果してお布施を出した人達の救いの足しになるのでしょうか。


これはすべて、その権力者の見栄とはったりに過ぎないのではないでしょうか。


本当の神は、神殿に巨億の金をかけて栄耀栄華の塊みたいなものを造りあげることはございません。
その教祖たちの神仏に対する考え方に自分の欲望や見栄をあらわに出してくる方たちは、正神界の認めた使者ということにはなりません。これもよく検討されることが望ましいと思います。


本当の神、正しい神は決してあなた方を苦しめたり、あなた方の苦しい財政の中から巨額の寄付金を集めて、自分の見栄のための城を造るようなことはしません。


私どもは大神様からきつくお達しがありますが、正神界の神の住まいは、三間四方の白木造りの質素なものでよろしいとはっきり申されています。
金ぴかに飾り立て、大理石で造り上げた、大層なお金を使った社は神のよりどころとはならないのでございます。
静かな中に質素な威厳のあるものでなければ神々の住まうのにふさわしい社とは言えないので御座います。
きらびやかな本殿を建てましたからといって、素晴らしい神様がおいでではないのです。これは大きな過ちであり錯覚なので御座います。


あくまでも謙虚にして、多くの人達が喜び楽しんで救われる修行道場を造る考え方、これが正しい神の誘いであると考えて下さい。


正神界として、何処までも奢ることなく、日々真面目な生活をすることをあなた方に要望しています。
私どもも決して煌びやかな神殿や御殿をあなた方に望むものでは御座いません。
どうぞ正しい神と魔の見分けをきちっとされて、今後の参考にされることがよろしいかと思われます。


そのような大きな御殿、大きな本殿はそのトップに立つ者の見栄のためです。
それを造り上げた時には、そこには多くの魔が潜んでいます。
そして、そこに入会する方々からは多額の寄付金を集め、更に膨大していく、これが人間の欲望のなせる業なので御座います。


図らずもその欲望に負け、欲望につられた一部の神々は大神様の怒りに触れて、大国神界で三千年以上の修行を命ぜられております。古い社でもそういう神々の宿られていた場所にはもはや奇跡やお救いの手は現在一つも差し伸べておりません。


また新しい宗教を作られている方々も、この正神界の掟に背いたときは魔の神の餌食となって未来永劫、魔界で苦しむことになると言うことを、この場を借りて忠告申し上げて起きます。


世の人のために働く、世の人のために尽くすと言うことは、まず自分の身を律し、自分自身の生き方を特と考えて栄耀栄華や贅沢な暮らしなどを省き、質素に生きて人様の理解できる生き方をすべきだと私どもは考えるので御座います。


自分が神の代行者などと考えたときには奢りも甚だしいものです。常にあなた方は個人としての人間なので御座います。神の代行者では御座いません。神のお力によって人救いのお役目を授かっただけで御座います。


ここがいまひとつ理解の足りない方々が非常に多いと思われますので、この点をよく注意して下さい。
教祖と言えども、代行者と言えども神に代わって事を成せるものでは御座いません。
神に代わって物事を成すと言うような奢った考え方を持たれている方は100%魔神の使いだと考えて下さい。


正神界ではそのようなことは絶対に許されるべきことでは御座いません。あくまでも神の使いだと言うことで御座います。


神界の掟は厳しいので御座います。中道が基本で御座います。この基本を破り身勝手な行いをし、贅沢三昧な暮らしをし、御殿を造り上げるときには、そこは魔神の館と化してしまうのです。


ですから神の使いとして生きるものは、徹底して自分の心の浄化をはかることが大切なので御座います。


正神界の神の使者として、世のため人のために奉仕する気持ちで生きる者は必ず天から徳を頂き具わるのでございます。天の徳において初めて人々が救われていくので御座います。


人々の徳によって天の肥やしにするものではございません。天の徳によって人々が救われていく、これが原則なので御座います。


もう一度だけくどく申しますが、よしんば宗教の団体に入ったとしても、必ずあなた方が理解出来て納得出来る組織でなければいけません。


ある教団に入り50歳近くまで収入の殆どを奉仕された方が、体の苦しみに耐えかねて助けて欲しいと救いを求め、その教団との因縁を断ち切って貰いたいという方がおられました。魂は離れるのを望んでいるのに心は離れるのが怖いのです。
このような信者を出す教団は全く不合理であり、不条理であり許されないので御座います。


あなた方の働きの報酬の中からほんの一部分を、神に対する感謝の気持ちを持たれて世のため人のために使っていただければよろしいのです。特別に自分達の生活まで脅かすような寄付は必要御座いませんし、このような寄付を強要するということは神の法則に反した行為です。そのようなことはどのような経由で来ても拒絶して頂いて結構です。


正しい神は、あなた方の日々の生活を脅かしてまで寄付金を集めることは絶対に御座いません。


繰り返し申しますが生活費まで削って宗教団体に寄付をするというような行為は、絶対にやめるべきであると言うことを私はあなた方に忠告しておきます。


どうか菊理姫の意をお汲み取り頂き少しでも真理の道に近づいて下さいませ。皆様は皆がみな例外なく、やがて肉体から離れるのです。天国へ往って頂きたい一心で申し述べて参りました。あなた自身が天国へ往く決心をすれば幸せになります。
これをもちまして菊理姫からのお伝えを終わらせて頂きます。(終わり)


次回からは、新しく木之花開耶媛命のお伝えを書かせて頂きます。