米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

[自動書記]~唯物論の限界(1) ~今年も咲いたアロエの花

群馬県・伊勢崎市・玄関前の今朝8時半の気温0度c・湿度55%(地下水の蒸気のせい水温年中18.5度c)


軒下のアロエの花がにょきッと~黄色い花です。今頃の我が家の庭は黄色が多いです。
冬スイセンの花・寒菊の花・菜の花など~


南浦和に住んでいるときアロエが店頭に出ると東南アジアの人達が髪の毛リンス用に買うのですぐ売れきりとか・・当方イザの時用に植えていますが抜いたままでもそのままでした。生命力の強い植物です。効用の一部ですが・・


唯物論の限界(1)(ビッグバーンから始まるの続き)・・自動書記


このような事実の上に立って物事を考えて見る時に、はたして人には運命とか運勢とかがあるものなのでしょうか?


振り返って現在より四十数億年前に神が地球を創成した時に、このような事実をつくられたのかと疑問を持つ人もいるかと思われますが、神はそのようなことは夢にも考えていませんでした。


では、現在なぜすべての人が異なる世の中になってしまったかと申しますと、人間一人一人の異なる意志力を持たすことことによって、現在のような形となってきたのです。個々の意志力がそれぞれに良いほうにも悪い方にも働くようになったため、このような社会を造り上げる結果になったのです。


現在の社会構造はすべて自己主張といいましょうか、個々の想いが共同体の協調性を失わせたために勝手な生き方、考え方がまかり通るようになってしまったのです。


世界中の国々が自国の利益のみを考え、さらに一国においても、国レベルで考えることが出来ない状態となり、国民も誘導型の政治家を選ぶようになった地球社会は、すでに末期的状態といえるのです。少なくても国家規模で物事を考えることができる人でなければ国会議員としての資格はありませんし、地球レベルで物を考えられる人でなければ国家の代表たる資格は無いのです。


このような人物が少なくなってしまったのは、人格形成時の人間教育に大きな問題があると考えられます。現在の代議士の年代の人達でも、このていたらくですから、将来はもっと危ぶまれます。


この実態を見たときに人間の意志力の恐ろしさを身にしみて感じられます。そこで今回正神界において地球永遠の存続のためには、正しい物の見方考え方について人類の皆様方に理解していただきたく、自動書記の方法で広くお知らせすることに致しました。


一体地球人はなぜこのような道を歩み始めたのでしょうか?
人々の目がすべて近視状態になってしまったのが大きな原因の一つと考えられます。近視的な物の見方しか出来ない最大の原因は、現在、生命のある自分は肉体の滅亡とともに、すべてが消滅してしまうのだとしか考えられないところにあるのです。(続く)
写真・「自分の影」・ブロッケン現象