羽黒山の麓に太田姓の家庭が7軒
1990年11月1日
「質問」私の過去世に置いて蜂子皇子や源平時代のどなたかと関係がありましたか?
「答え」この方は前々世において蜂子皇子の第4番目の位を持つ家臣でした。
この方は前世、先祖藤原家に縁があり、藤原道長の家臣でした。
1990年11月19日
「質問」私が蜂子皇子の家臣の時の名前を教えて下さい。
「答え」太田秀重
「質問」藤原道長の家臣のときは?
「答え」増田長信
「質問」その後転生したことはありますか?
「答え」ない
後日羽黒山にお礼参りに行ったとき、出羽記念歴史観の受付の方に「太田」という名字の方をこの近くでご存じの方はおられますかとお聞きしたところ、すぐに7軒の方を知っておられました。
私の肉体的子孫の皆さんでしょうね。また自動書記の枠外に書いてありましたが「羽黒大権現」は「観世音菩薩」のこととの発言メモがありました。
月山に 遊ぶ羽黒の三烏も 湯殿の里に 安らかに暮らせ
天照大御神
自動書記者も私もこの手の素養は全くございません。
メモを見てシンガポールの絵描きさんから購入した観音様の絵と上野の石屋さんで買った水晶を床の間に飾りました。この直後に「観音経100日間修行」の自動書記が書かれたことになります。