「自動書記」引力のバランス(2)&肉体・心・魂
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今朝7時頃のラジオニュースで政治献金問題、松本人志問題、漫画家自殺問題に少し触れていました。
人間の底辺の欲望の問題ばかりです。自殺が欲望か?は意見が分かれますが・・・
1問1答の自動書記での回答です。
1991・5・8
「質」霊が憑依するのは人間の肉体ですか、心ですか、魂ですか?
「答」魂に憑依して肉体に感応するのです。
この時「心」が省かれていることに?と感じましたが・・・
後日お伝えで書かれると思いますが「自殺」はいかなる理由があろうとも地獄行きとのことです。
【「心」とは? 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
心(こころ)は、非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。
"心"の広がりは、深く、広く、 感じるままに、思うがままに、 哲学の海、心理の森を旅する。 広辞苑は以下のようなものを挙げている。
人間の精神作用のもとになるもの。
人間の精神の作用。
知識・感情・意思の総体。
おもわく。
気持ち。
思いやり、情け。
他に 趣き、趣向、意味、物の中心、等。
概説
歴史概観
古代中国では、心は心臓、腹部、胸部に宿っていると考えられていた[1]。 旧約聖書では心に相当する語としてはヘブライ語lebが用いられ、旧約がギリシャ語に翻訳されることになった時、ギリシャ語で心臓を意味する「kardia」が選ばれ[1]、それは広まった。 古代ギリシャのアリストテレスは自著『ペリ・プシュケース』において[注釈 2]プシュケー、すなわちこころや魂や命について論じた。心をモノのひとつの性質・態と考え「モノの第一の"エンテレケイア"」と呼び、こころとからだはひとつであり、分離できるようなものではない、とした。
東洋では陸象山が「宇宙は便ち是れ吾が心、吾が心は即ちこれ宇宙」また「心は即ち理なり」として、「心即理」の宇宙の理やそれと一体化した吾が本心を内観によって把握しようとした。天台宗は、心には地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界があるとした。これを十界論と言う。(→東洋における心の理解)
17世紀の自然哲学者デカルトは「心は心で物は物」と完全に分断する論法(「デカルト二元論」)を展開した。
また主として存在論的な観点については、現在でも「心の哲学」という分野で様々な議論が行われており、様々な立場がある。
現代でも世界の人々の大半は「心」と言う場合、人間を人間らしく振舞わせる事を可能にしている何か、を想定している。
引力のバランス(2)
(前より)その大切な地球という星に皆さんは生存して生活をされているのです。
その地上に住む人類の何十億分の一があなた自身なのです。
今こそ地球上に生存する全ての人々が、この大変な事態に気付いて、地球永続の方策を考えなければならない時なのです。
そのためにはまず地球創造の真理を理解することが大切と考え次の項で説明いたします。(続く)
下記写真は昔の大阪万博の年が丁度松下電工の労働組合が出来て25周年でした。その記念に元の役員OBか組合員全員かに配布されたメダルです。