米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

「ご縁」は次々と~呑み屋の相手は「頭取」~これからも!(2)

銀座8丁目の飲み屋さんでの星由里子さんは終わりですが、今日は後ろに立っておられる女将さんのお話から第二幕です。


この女将さんは渋谷の料亭の娘さんだったそうで、このお店にはその頃のお客さんが良く来られていました。


若い頃は日本的美人で伊藤深水画伯(朝丘雪路の父上)のモデルを頼まれて週刊朝日の表紙を飾ったとのこと。現物は宮内庁美術館?に保管中とのことでした。


客筋は大蔵省や税務関連の役人OBが多かったです。
当方の最初は新潟の高校同窓会で一緒だった知人が長岡にある銀行の銀座支店長で東京でも呑む約束をし、案内されて一緒に吞んだのがこのお店とのご縁の始まりでした。板前さんも新潟出身(高校の保健室の先生の息子さん)でした。


良くお一人で来られる方でたまに雑談した方が何人かおられました。が、私の二番目に勤めた会社が「日本たばこ」の長岡工場を合弁で群馬工場と同じ商品を製造することに。勿論合弁条件でチャンチャンバラバラは凄かったですが・・・。
当時の私は製造担当でしたので私も月2くらいの割に長岡に。


合弁会社の社長はタバコ時代の工場長が就任。あるとき彼から質問がありました。
自分は半民半官とは言え公務員世界の出身で民間会社ではどのような姿勢で行くべきか迷っていますと・・。


【お客様や仕入れ先の人達が必ず来ますから、話が終わったら貴方は必ず玄関まで降りて送って下さい(社長室や応接室は2階でした)。来客が車に乗って門を出るときもう一度お辞儀をしてください。どちらもお辞儀の仕方は相手さんより低く長くが原則です。】


これは大成功でした。


高校の友人から長岡で食事をするべくお誘いが・・。今度の新社長もご一緒にとのこと。
料亭にお邪魔して座敷に入ったら銀座の飲み屋さんで話しあった顔見知りの方~銀行頭取でした。タバコ時代から取引はあったよですが、今度は自己資金での経営ですから新任社長も喜んでいました。
それにしても最後に食べた「ヘリそば」の美味しかったこと~その後、長岡に出張で行ったときは必ず駅にある「へりそば」を頂きました。


写真は「花登さんの腱鞘炎」で思い出した中国・蘇州「寒山寺」の和尚さん(書では世界一との評判)が書き過ぎで右手が腱鞘炎になって書けなくなり左手で書いて頂いた書で内容は当方の原稿からです。