米寿爺のサトリ日記&『自動書記』&マレーシア体験記

『あなたの与えたものが与えられます。』『心施・智施・物施の順が逆になるとお金の便利さが悪に広がります。』『悟りとは差を取る=比較しないこと』?

昨日「雀神」になりました~ヒッコリーのクラブが良かった

意味不明のタイトルで失礼しました。地震のことを思うと何をしていても被害にあわれた皆さんのことが頭に浮かびます~が、これはさて置き・・・


今日は「麻雀牌」の想い出です。麻雀をご存じでない方御免なさい。
覚えたのは昨日も書いた当時事業部長だった山下さんが帰った後の応接室で寮生で牌を囲んだのが最初でした。


お客様ともよくやりましたし、東京の営業所でもみんなで簡単な賞品も用意して大会をやりました、というコミュニケーションツールの一つです。


女優の星由里子さんのご主人(花登コバコ)さんの形見に頂いたのが日本で最初にカキヌマ?(メーカー)製の自動麻雀卓でした。花登さんは小説など書き過ぎで右手が腱鞘炎になって普通の麻雀牌が持てなくなったようです。
彼女からイギリスに特注のヒッコリークラブフルセットとどちらがいいか?と言われ麻雀卓を希望。営業所に保管中に私が移動してそのまま・・。どうなったかは?
下の写真・・銀座8丁目の小さな飲み屋さんで星さんと。(約40年前ですね)




私が麻雀製造会社に原料の営業開始したのは東京化材営業所時代でした。
北陸の食器メーカーや会津の食器メーカーにも商売していた熱硬化性樹脂で麻雀牌も製造していました。
もともとは幸之助氏が最初に手掛けた「練り物」で配線器具など絶縁材が主です。


麻雀一卓分の金型でコンプレッション成型し次は裏の竹の部分をプレス(鉄の重りを入れて)。一昼夜ボールミル(シカの皮や小さな軽石?と一緒)で研磨。
乾燥後「墨入れ」~これは細い筆で人がいれます。イイソウ(鳥の図柄)の色が多いほど高級と言われていました。


大昔、中国で、牛車のお供達が遊びで考案。屋敷前の盛り塩で牛を止めた家の主人が娘を紹介する、牛車に乗っていた偉いさんは家の中に、お供は連想~白い肌・紅い唇・烏のような黒い艶のある髪(緑色)~白・発・中の由来?


当方、ボケ防止と趣味で無料麻雀を楽しんでいます。昨夜、最高まで行きました。ただ正確の上がり点数計算は私より画像の方が早いですので、この手はこの点数だと感じで計算。