「わらび」
いつも行っていたメンバーゴルフ場でキャディーさんと一緒に探したワラビ~地元の人が先に摘んでいった後が多かった。
悔しかったので青森と盛岡から苗(根)を取り寄せて裏庭の日当たりの悪い場所に植えました。
今は眺めるだけで殆ど食べませんが、アク抜きをしてツマミで食べたほろ苦さが懐かしい思い出です。
(食材ですのでイザの時には役立ちますよ。)
法則のなかで生きる [永遠の法理(自動書記)]
(前より)この宇宙はすべて法則によって働き、法則によって守られ、原理によって創られているのです。
人間をはじめ動物、植物など万物はすべて大自然のなかで、それぞれの生命を授かり生存しているのです。
この大自然の育みはすべて法則によって運行されているのです。この運行の一コマのなかに組み込まれてあなたは生存し生活されているのです。
ただ一定の枠の中で自由意志力を与えられているために、その人の考え方により、異なる生き方が出来るように仕組まれているのです。
神は人間に与えたこの自由意志を、あなた方がいかように理解して自分の一生を送るかを確認することで、霊界の立場を決める材料にしているのです。
法理に従って生きるも逆らって生きるもあなたの一生です。
但し、先に申し上げたようにこれも社会の掟として、自由には必ず義務が伴っていることは間違いありません。
義務のない自由は存在しないのです。自由意志で選んだこの世の生き方こそ、常に最大の義務が伴っていることを知って下さい。
思いのままに生きられる自由を、身勝手なことと考え違いをされ、人の迷惑も考えず相手の気持ちも察しようとしない生き方こそ、後になって最大の義務が伴うのです。これを知らずにこの世を生きている人が本当の不幸な人であり、転生後もこの不幸が続くことをここで警告しておきます。
もう一度繰り返しますが、日々の生活の中では常に自由がある反面必ず責任があり義務があるということを自覚してください。
それが無責任な生き方よりも、はるかに自分の未来を素晴らしいものにするのです。
地球上に50数億の人間が生存していますが、50数億種類の運命があるのです。その運命の一つをあなた自身が選んで生きているのです。
50数億分の一の運命を選んで今のあなたが今の人生を送っているのです。こんな自由が他にありましょうか。反面、こんなに重い責任がありましょうか。そしてこんなに重い義務がありましょうか。この重い責任と義務を果たすために、この宇宙の法則と原理に従って生きていただきたいのです。
それが結果として、楽しく素晴らしい人生にすることが出来るのです。
未来はこの法則の世界であり、原理の世界なのです。
いままで世界中に思想として現存した社会主義、共産主義、自由主義などの思想は、それぞれの指導者の考え方で信念を持って世界に広められたのですが、基本となる宇宙の法則や原理より出来上がったものでないため、それぞれに矛盾があったのです。
それではここで思想とはいったいどんなものかについて考えて見ましょう。
思想とは想いなのです。想いとは人それぞれに異なるのです。それを世界なり国なりで同じ共通の想いに統一し、同じ目標を設定してその目標に向かって進むことが発展の近道であると考えたのが思想の始まりであります。
ところが世界の思想が三種三様で、それぞれの主義主張に無理があったために、どの主義も唯一の思想として、世界人類の想いを統一することが出来なかったのです。
なぜこのように混乱した社会情勢を招いたかと申しますと、それぞれの目的が自我と自己欲によって作られたいたためだったからです。
しかし、現在は社会情勢に変化が現れました。人類の住む地球に環境の変化が起こったのです。そういう意味で、今こそ人類の住む地球を守りたいという想いを世界思想の目標として統一するチャンスが到来したと言っても過言ではありません。
現在、世界中の人類の大半の知的指数は上がってきておりますが、一部にはまだ紀元前に近い生活様式で生活される人々もおります。ここに大きなギャップがあるのです。
なぜこのように大きな差が出来たのでしょうか。それは想いが異なるためで、このような生活様式の差を生んだのです、なぜその差が出たかと申しますと、環境の影響によって違ってきたのです。
四季を通じて食べ物も豊富にあり、気候も年中温暖で衣類も必要のない生活が出来た人々は、常に満ち足りた生活基盤のうえで生きられたので、永い年月をそのままの生活で守って生きてきたのです。
一方の文化一等国と言われる国々は、大変進歩した科学と文化に恵まれた生活をしております。
何故この国々は急進することが出来たかと申しますと、進化が無くては生存出来ない気候的な環境と社会的な環境があったからです。
皆さんはこの進歩した民族と進歩しない民族を比べて、果してどちらの生活が人間として満足感をもてるのだろうかと考えたことがあるでしょうか。
それは進化を必要としない民族の人々に幸せ感が多くあるのです。
何故かと申しますと、すでに進化の道を選んだ人々は、いつの間にか進化の上に更に進化を望む欲望を持ってしまったからなのです。今の日本の社会生活を覘いて見ても、行き過ぎた社会生活に満足出来ず更に未来への夢を描いて生活の向上を望み、科学・文化・思想の進化を望んで無限の欲望をもって日々努力されているのが現状です。
確かに神として世の中の進化向上を目的として、人類に無限の欲望を与えたことは事実です。しかし、その欲望の目的は科学の進歩でもなく文化の向上でもありません。地球の永存でありその地球に生存する万物が常に繁栄を続けることにあるのです。そのために一つの法理を定めました。
人類が法理にかなった生活を実行するときに初めて地球の永存が可能となり、万物の生成発展を見ることが出来るのです。
今までの科学文化の発展は少し軌道を外れた進み方をされておりました。文化社会に生きるあなた達の知識を持って考えれば、少しずつ気づかれておられたはずです。どうぞ勇気を持って意を強くして、法理に基づいた科学や文化の進歩の方向に変える努力をして下さい。(続く)
写真は前庭のツツジ~昔100円で買った記憶があります~5分咲?
そろそろお伝えも終盤です。蒔かぬ種は生えぬ~この「種」を最大に生かすには人間の手が必要になります。下の「コキア・ホウキ草」の写真は昨年の種から沢山の芽が出ていますが、それを1本毎に植えなおさないと綺麗な姿になりません~地球も同じかも??